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脱力について [ピアノ]



ピアノの、脱力といわれる、技術というか状態について、
思うところをはなしてみようと思います。

ピアノでは、脱力という事が重要視されています。

力を抜くというか、肩の力を抜くという、あれですね。笑
音楽家では、ショパンとかは、柔らかさというか、力の入っていない状態での演奏を
重要視していたらしいです。
(らしい。本当のところはちゃんと色々調べないと、何分昔のことなのでわかりません。てへ。)


スポーツでも、結構脱力って重要視されてるんじゃないかなあ。
例えば、マラソンとか、弓道とか?

さて、この脱力という言葉、言葉だけ見ると、いかにもおかしいんですよね笑
脱力って笑

少し考えればわかりますが、完全に力が抜けていたのでは、指は動かない。
というか、何も動かないわけですよね笑

指を動かしたり、運動するときに足を動かす際には、必ず力を使っている。
弓道で、弓を絞っているのに力を使っていないというのはありえないわけです。


でも、脱力というのは大事で、要するに「余分な」力を一切使わないという事
なんじゃないかな、と解釈しています。
(違う意見があれば、是非コメントで!伺いたいですヽ(^。^)ノ)


つまり、緊張しない。力を込めない。洗練されているということ。

岩波書店の「日本の弓術」なんか読むと、そういう感じが伝わってきます。
弓道だと、弓を絞っているんだけど、すごく安定していて、無駄な力が入っていない。

何が言いたいかというと、つまり、脱力=緊張の取れている状態
かつ安定した状態
ということなのではないか、という、まあそれだけなんですけどね笑


風邪とかで、本当にしんどい時、無駄な動きをしませんよね。
余分な動きをせずに、最低限の動作で行動する。

その時、緊張感が取れていて、気持ち的には楽な状態で、でもしっかりと行動しているわけです。


この、脱力っていうのは、結構大事だなって最近感じてます。
これを、日常生活にも生かしたほうがいいと思う。
つまり、力を抜く。
いや、全部抜いちゃだめですよ?笑
脱力って変な言葉だなあ笑

まあ、緊張しないようにするっていう事ですね。
余分な力を入れない。


実は、これがベストなパフォーマンスなんじゃないかなあと、思うわけです。

緊張せず、洗練された動きで、的確に。
こういうのがいいなって思います!


ではでは!
いろいろまとめ(^O^)
音楽(ピアノ)まとめ♪♪(*´▽`*)
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文鳥まとめ(^ω^*)))
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溺れる者は藁をもつかむ

最近気になっているというか、気に入っているというか、きになっていることわざ。

溺れる者はわらをもつかむ

案ずるより産むが安し

窮すれば通ず


この三つ。

中でも昨日気になったのは、溺れる者はわらをもつかむ。


この、溺れる者はわらをもつかむ、というのは、

言葉の通り

溺れかけているものは、わらなんかつかんでも仕方ないのに、わらをつかむ。

というふうな解説ですよね。

溺れる者は藁をも掴むとは、人は困窮して万策尽きたとき、まったく頼りにならないものにまで必死にすがろうとするというたとえ・・・と、まあ、そういうことですね。


興味深いのは、これは、真理だなぁ・・・と思うわけです。



だいたい、わらをつかんでしまう。

でも、僕はその藁をつかむ溺れる人が大好きなんです。笑



いやあ、こんなこと言うと、サディスティックだなとか思われそうだけど、

そうじゃなくて

なんか、必死なところが好きで。

窮鼠猫をかむと、ちょっと似ている。





普段は、逃げてばっかりいるのに、いざという時には強大な猫に立ち向かうねずみ。かっこいいよね。


じゃあ、窮鼠猫を噛むが好きでいいじゃない、とかつっこまれそうだけど笑

それでいいです、はい笑

まあ、この溺れる者はわらをつかむ、でいうと、

普通はわらなんかつかまないわけですね、人は。


普通は、わらをつかんだってどうしようもないってわかっているから、溺れた時にしかつかもうとはしない。

ねずみはいつも猫から逃げてて。


だけど、わらはそこにあって。(あるのか?)

いつもそばで、わらっていて。(!?)


・・・・。うひ!笑


おぼれても、わらをつかもうとしない人も、いると思うんです。


そういう人は、ああ・・・。なんというか・・・。


僕が好きなのは、溺れた時に、わらをつかむ人だ。

藁をつかもうとする彼らの必死さが、潔くて好きだ。


猫に食われそうなとき、ただ襲われるのを待ってるんじゃなくて、たちむかうネズミが好きだ。


そういう、窮地に陥った時に、ちゃんと藁をつかもうとする人間であれるかは、結構大事だと思う。




この必死さ。
切なさ。

好きだな。


例えば、お気にされたらすみません、自分ががんだったとして、

ガン申告された時に、初めて生命のありがたさがわかる。

心から生きているということを感じられる。

自分ががんであっても、そう申告されるまでは、のほほんと生きてるわけで。
それは、必死じゃないという事で。
そこには、熱いものがなく。



溺れて初めて、生きたいと願う。

ねこたちに囲まれて、はじめて勇気を振り絞れる。


そういうことは、確かにある。


そうでないのがいい。
最初っから気づいているのがいい。

でも、人間ってどうしても、そういうところがある。
安全だと、安心してしまう。


自分を危険にさらすことで、緊張感と行動力が生まれるという事がある。



自分が、どれだけねこたちに囲まれていると認識できるか。
自分が、どれだけおぼれそうだと認識できるか。


そういうことが、とても大事。



だって、溺れないと、わらをつかめないわけでしょ?
そこに藁があるってことも気づかず、見捨てる。


猫に囲まれないと、勇気を振り絞れない、ねずみ。
猫がいて、どこにも逃げ場がないから、勇気が出る。

猫がいなければ、逃げる筋力を使わず、たちむかう牙も使わない。


猫がいるから逃げられる、たちむかえる。




問題があるから、解決できる。
問題がないと、解決はできない。




最初っからマルタでもういていれば、それにつかまっているのが楽だし安全かもしれない。
いかだが浮いていれば、自分の力で泳がなくて済む。
そういう切り抜け方も大事だろう。
だけど、その筏だって、いつしずむかわからない・・・と考えているかどうかで、
いかだに対する思いや接し方、のりかたは変わってくる。


筏や船に乗っていてもいいかもしれない。真剣であれば。




例えば、ヨットで太平洋を横断しようとする人は、船に乗っていても覚悟があると思う。




でも、そうじゃなく、まわりに丸太もないときは、
わらをつかむおぼれるものでありたい。


猫に囲まれた時は、かみつきたいね!(・∀・」」)


よくわからないけど、まあ、そういう感じ笑

ではでは!
いろいろまとめ(^O^)
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ハリーポッターのすごさ みたいなもの ψ(*`ー´)ψ ゥヶヶ

ハリーポッターのすごさ みたいなものについて 書いてみようかな?

映画化もされ、本が出てだいぶたつので、
この記事は大いにネタバレしています笑 









注意! 大いにネタバレしています!!



うん、いいだろ笑







さて、今回取り上げるのは、三巻。


はりぽたとアズカバンの囚人だ。



三巻では、ねず公が大活躍?しましたね笑


一巻、二巻,三巻まであって、ここにきて、ローリングがすごい作家であるということを
一巻で思い知ったのに、二巻、三巻でさらに思い知ることになりましたよね。




何にッ焦点を当てるかというと、伏線。




伏線がすごいのだッ!!!



いや、ほんと。ほんと、ほぼそれだけを言うためだけの記事になりそう笑





何がすごいかっていうと、伏線なんだけど、いろいろと伏線があるよね。


ねずみ
かくれんぼぼうしき(ネズミ関連)
時間逆転装置みたいな時計 逆転時計だったかな。




まあ、いちばんすごいのは、ねずみ関連だよね笑




何がすごいかっていうと、もう、ちゃんと組み立てちゃってるってこと。



普通なら、一巻で、ねずみがおっさんだなんて思いながら書かない。



でも、ローリングは、すべて計算してるんだよね。
計算高い女だよ笑


計算しているというか、「構築している」といった方が正しいかな。

物語はもう構築されている。

設定されている。



そして、一番の見せ場が何か、ローリング氏は心得ている。

すごいよね。

一巻の段階で、心得ちゃってるんだからね。
おじさんがねずみで、いやいや、ねずみがおじさんで、それが物語を爆発的に面白くするってことに。


しかも、もう構築しちゃってるんだから、矛盾みたいなものはほとんど入り込むすきがない。

完成されている、あるいは、洗練されている。




さて、何がすごいといっているかというと、ねずみがおじさんだったことがすごいってことなんです。


そして、そのねずみは、実はハリーの命を狙っているっていう事。

でも、そのネズミは、ハリーが一年生、二年生の間手を出さなかった。

それは、れいのあの人が復活していなかったからだ。


復活もしていないもののために、犠牲を払う人間でないおじさん。
そして、復活したと同時に、手土産を作ろうとするおじさん。

だから、ハリーのそばにいてもだれも殺そうとしないおじさん。


すごいよね。説得されちゃうよね笑

うん、その通り!って、思うもんねえ。


でも、これは、ハリーを殺さないために、人物を設計しているといえる。


これが、あの四巻で活躍したまっどな兄さんだったら、そうはいかないですものね。

あくまで、利己的で小心者じゃないと、殺さないという設定にはならない。説得できない。



だから、ローリングさんが一番重要視したのは、物語の面白さであるという事。
つまり、物語展開、物語場面であるという事が、ここからうかがい知れますね。

どういう事かというと、あのおじさんがネズミであったがために、もうひとりの、ちゃんとした犬のおじさんと
ネズミのおじさんを、読者は勘違いすることができるわけなんですね。


そして、そのかんちがいが、大きく解かれていく。
しかも、その真犯人は、ずっと身近にいた!

これで、びっくりしないほうがどうかしてますよね笑 
すっごい効果的なんですよ。



ねじ曲がっていたのが正しくなるっていうのは、すっごくすっきりする。
しかもしかも、そこには驚きがある。
さらには、今後、犬のおじさんと暮らせるかもしれないという喜びもある。
しかも、逆転時計で(ここもかなりすごく緻密に計算してうまくいくように設定されている)
自分の手で、それを達成できるかもしれないという高揚感!


すっごいねえ、ローリングさん。


すごい、すっごいよ笑


やっぱり、物語を持って行っている。
面白い場面に向かって。


謎が解けるという事、そして、意外性、希望、カタルシスが全てつまっている。


いろいろあるんだけど、今日はこの辺にしときます笑

三巻のすごさ、ちょっとでも伝えられたらなあと思いました。^O^
そんなんしってる!っていう人、・・・・・ごめんネ♡




良かったらこちらも読んでね笑


ハリーポッター① JKローリングの武装解除呪文にかける願い
http://op63op29pia30845.blog.so-net.ne.jp/2014-08-05-1



ポッケは寒くなってきたにもかかわらず、水浴びしとります笑 かわいいね。
元気です。かわいいです。


ではではではでは、今回はこの辺で!!
いろいろまとめ(^O^)
音楽(ピアノ)まとめ♪♪(*´▽`*)
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物事を行う促進力、物事を行わない抑止力

 

物事をやったりやらなかったりするには、一つには、理解しているという事と、もう一つには、感じているという事がある。
どういうことかというと、たとえば、塀の上を歩く少年。

塀の上を歩く少年と、塀の上は歩かない少年。
この二人のちがいはなんだろうか。

Aは、塀の上を歩いても平気だと考えている(理解している)
違う言い方をすれば、おちたら危ないだろうとは理解していない。

つまり、塀からは落ちないだろうと理解している。
また、塀の上をあるいている時、怖さを感じず、むしろ平気だと感じている。



Bは、塀の上を歩くと、おちたら危ないという事を理解している。





こういうことが、二人の少年の行動のちがいとして現れると考えられるだろう。


つまり、理解しているかということと、感じているかという事だ。



だが、これにも段階がある。

まず、理解するという事と、そして、それから、感じるという事だ。


例えば、今にも塀の上を平気で歩こうとしている少年A。

この少年Aは、塀の上を歩くのは平気だろう、と「考えている」。


そして、塀の上にのぼる。まだ平気だ。


ところが、塀の上に立って、一歩二歩歩いたところで、塀の幅があまりにも狭く、
ここを歩くのはあぶないと「感じる」とする



すると、その少年Aは、塀をおり、もう塀の上は歩かず、塀の横に沿って歩くようになるだろう。

つまり、塀の上を歩いてみて、危険だと「感じた」ことによって、塀の上はおちたら危ないから
ちゃんと地面を歩こう、と「考えた」わけである。



このように、物事を促進したり、抑止したりするのには、二つのファクター、
つまり考えることと感じることの二つが存在するといえるだろう。


さて、塀の上を歩かなかったB。
Bは、友達に促されて、塀の上にのぼったとする。

すると、持ち前の平衡感覚が発揮され、塀の上を平気で歩くようになるとする。

この場合は、Bは、塀の上を歩くことは危ないかもしれないが、歩きたいと「感じ」それによって、
塀の上は歩けると考えるわけである。


このことから考えると、物事をやめようとするときは、考えているだけではだめだという事がわかる。


実際、Bは塀の上を歩くのは危ないと考えているにもかかわらず、歩くのが楽しいと感じるというだけで
歩くのをやめられない、という状態に陥る。



大げさな例で言えば、麻薬、アルコール、タバコ、パチンコなどのギャンブル、など・・・。


これらは、本人が辞めたいと思っているにもかかわらず、「楽しい」とか、「勝ちたい」と感じることによって
やめられないという状況に陥ってしまう例である。


たとえば、健康は大事だと考える。


多くの人が、健康は大事だと考えている。


それにもよらず、運動不足、むやみな飲食、不摂生、これらはなぜ起こるのか。



考えるという段階では成功していても、感じるという段階で、本当に健康の大事さを感じ取れていないことに
他ならないのではないだろうか。




考えるという事、それから、感じるという事。


理想的な姿になるには、健康の大事さを身に染みて感じればいいということだろう。



他にも、生の短さは良く僕は考える。


そういうことを念頭に置いて、理想的な姿をめざし、それが大事だと考え、感じられるような体験を積むこと。


これが大事なんじゃないだろうかと、ふと思った。



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ゴーシュの孤独

セロ弾きのゴーシュ


ゴーシュは孤独だ。


ゴーシュは最初弾けなくて孤独で


弾けるようになったら、また孤独になった。


逸脱することは、孤独であるという事であり、
結局ゴーシュは孤独なのだ。
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様々な確率 確率論的な考え方

お久しぶりです。
今回は、確率論的な考えに基づく行動、みたいなことにふれてみたいと思います。

さて、宝くじ。
当たりますか?

当たりませんよね笑


でも、ビンゴだったら当たる?

当たるかもしれませんね笑



かみなりに打たれる確率は、どれくらいでしょうか?


バッターがヒットを打つ確率は?

列車が横転する確率は?

飛行機が墜落する確率は?

サメに襲われる確率は?

告白してふられる確率は?

インフルエンザに感染する確率は?

プロボウラーがパーフェクトを達成する確率は?


世の中には様々な確率がありますね。



すべて「うまくいくかどうかわからない」「実際に起こるかどうかわからない」という点を持つものなら、確率は存在するでしょう。

しかし、それらにはすべて程度があり、「確率の高いもの」と、「確率の低いもの」が存在するといえるでしょう。


例えば、宝くじが当たる確率は、4等でも10000分の一です。
10000枚買ってやっと、当たることが保証されるわけなんです。


1等なら1000万分の一であります笑

ビンゴなら、10球出てビンゴになる確率が、10パーセントほどらしいです。

飛行機が墜落する確率は、20万分の一



様々な確率が存在します。

面白いことに、
この確率が存在するというところには、同時に、心配というものが存在すると思えます。

例えば、雷。

雷に打たれたらどうしようと、一度は心配された方も多いのではないでしょうか?

雷に打たれたら、死ぬかもしれない。大けがするかもしれない。
大雨にあって、近くで雷が落ちた。おちたらどうしよう。

そういうところから、雷が怖い、という気持ちが生まれているといえるでしょう。


サメについても、同様のことが言えます。
ジョーズなんかで、やたらと恐怖心をあおられて、海に行ったらサメがいる、ということを
強く意識した人は多いでしょう。

そして、もし食べられたらどうしよう、おそわれたら・・・などと想像を膨らませて笑
恐怖に陥ることは良くあることだと思います。


飛行機恐怖症もそうです。
実際に、落ちるかもしれないからという理由で乗らない人もいます。


でも、その確率は、非常に低いものであるのは、間違いありません。


サメは、ふつう沖合にいますから、浅いところで泳ぐ分には、襲われるという事はまずないでしょう。
むしろ、クラゲ、オコゼ、ウニやガンガゼを踏むことによる被害の方が大きいはずです。


飛行機で言うと20万分の一ですし、雷に至っては、なんと宝くじ一等に当たる1000万分の一
という低確率になっています笑


こういう風に、低確率のものは、本来心配する必要のないことのはずだといえるでしょう。


確率は、変動もします。

例えば、上で挙げたボウリングパーフェクトの確率は、素人とプロボウラーでは、格段に差が出てくるでしょう。

ゴルフのホールインワンも同様ではないでしょうか。

つまり、望ましい結果を求め、確率を上昇させ、
望ましくない結果を避けるために、確率を下げることは可能なのです。

飛行機は、昔はよく墜落していましたが、いまはかなり安全な乗り物となっています。
すごく確率が上昇したわけです。

そのためには、やはり、機体を安定させる技術や、離着陸を安定的に達成させること、
などが求められたはずです。

人間は、それを達成するために、「失敗を繰り返し」、技術を向上させてきたわけですね。

何事も、一朝一夕というわけにはいかないのは、間違いありません。

多くの失敗があればあるほど、それを生かし、技術を向上させ、安定した飛行につながる。
つまり、飛行の成功確率を上昇させることに成功したというわけだと思います。


なんにせよ、確率論的な考え方は、結構重要だと思います。
失敗すれば、確率を上昇させるために試行錯誤をすればよいという話であり、
その失敗は、確率がまだまだ低かったのだと考えて、それほど落ち込む必要のないことなのではないでしょうか。


むしろ、挑戦し、確率を上げることができる、伸び城があるという事ですね笑


受験勉強とか、ピアノの上達も、そういうことが言えるのではないかと思います。

ではでは、今回はこの辺で!!
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17『水妖記(ウンディーネ)』 フーケ―著 [本]

th (30).jpg
ウンディーネ。水の精である。

水の中に住んでいる妖精が、騎士と結婚し、そしてどうなったか・・・という物語

この本は、読んでいて本当に切なくなった。
ウンディーネは人間ではないが、人間ではないものとの結婚という、古くからあるテーマをモチーフにしている。

注目していただきたいのは、ウンディーネの描写。
人ならざるものであるゆえの魅力が、作者の手によって、克明に描かれている。

人物で、僕は少し癖のある人が好きだ。ウンディーネは、まさにその典型だった。

この本は、一人旅に行く行きと帰りに読んだのだけど、旅に花を添えてくれた。思い出深い一冊である。




 【新品】【書籍・コミック 文庫活字】水妖記 ウンディーネ



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「山月記」個人的読解

 今回は、山月記を取り上げたいと思います。

なぜ、山月記なのか?


・・・・・・・さあて、なぜなんでしょうね。(・_・ ) ( ・_・)キョロキョロ

この山月記(中島敦著)、学生時代に読んだ時もなかなか興味深い内容だったんですが、
改めて読み返すと、胸に来るものがあります(。-_-。)

山月記は、簡単に言うと、賢いエリートが、自らの臆病な自尊心と尊大な羞恥心によりトラとなってしまった話です。
もっとも、これは主人公李徴の解釈であり、それが本当であるかはわかりません。


彼は、なぜ虎になったのか?
いったい、李徴の心理とは、どういうものだったのか?
虎になった李徴の考え方とは?


今回は、そういうことに焦点を当てて、山月記を読み直したいと思います。


まず、原文ですね。青空文庫(著作権切れ)で読めます。
こちらです。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html

・・・さて、いかがだったでしょうか。

李徴、すごいことになってしまったのだね・・・(ToT)



さて、李徴を分析
李徴の来歴

若くして名を虎榜こぼうに連ね・・・若くして、科挙に合格しています。
    ↓
江南尉に補せられた・・・江南という地で、尉(官職)につく。兵事関係みたいです。
    ↓
官位を退職し、詩作にふける
    ↓
文名が容易に揚がらず・・・・・・なかなか詩で有名にならない
    ↓
己おのれの詩業に半ば絶望・・・自分の詩作(名声を得ること)に半分絶望してしまう
    ↓
妻子の衣食のために遂ついに節を屈して再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずる
・・・・・・妻子のために、ついにあきらめ、東の地で、一地方官職になる
    ↓
一年の後、公用で旅に出、汝水じょすいのほとりに宿った時、遂に発狂した・・・旅の途中発狂してしまった・・・。




李徴の性格(世界をどう認識しているかという事によって生まれる態度)
李徴は、自分の賢さ、才能から、自分は偉いのだと感じています。
名声を求めており、人より優れていると思われたいようです。
そして、人に使われることをとても嫌っている。
これは、臆病な自尊心と、尊大な羞恥心のなせる業だといっています。
(人に使われるのは劣ったことだという認識に基づく自尊心と同時に、人に使われるのは恥ずかしいことだと考える羞恥心)
また、このことにより、トラになったのではないかと自己分析しています。

詳しく、「才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡すべてだった」といっています。


才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧=自尊心が傷つくのを恐れる=臆病な自尊心

刻苦を厭う怠惰=思いっきりやっても、出来なかったらどうしよう(恥ずかしい)=尊大な羞恥心

こういうわけですね。
続けて、「己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己は漸ようやくそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼やかれるような悔を感じる。」

といっています。

ここを、どう理解すべきでしょうか?

臆病な自尊心と尊大な羞恥心により、詩作が思うようにいかなかった。
そして、才能がなくても、一生懸命詩と向き合い、詩を磨きあげたことで、すばらしい詩家になったものがいる。

ここまでは、すんなりいきます。
しかし、そのあとの「虎と成り果てた今、己は漸ようやくそれに気が付いた」
ここの「それ」は、何を指すのでしょうか?
自尊心と羞恥心により詩作がうまくいかなかった点でしょうか?
それとも、才能がないのに、頑張ったあげく素晴らしい詩人になったものがいくらでもいるという点でしょうか?


ここの個人的解釈は、おそらく、両方含んでいるんですが、注目すべきは
「頑張ったあげく素晴らしい詩人になったものがいくらでもいる」という発言を、李徴がしている点です。


ここに、李徴の自負心というか、競争心が見えているわけです。

詩というのは、本来、点数を出して競い合うような種類のものではないでしょう。
心に訴えかけるものがあればどんな詩も優れているのであり、この詩とその詩、どちらがより優れているかを競う「必要性」は本来ないわけです。
もちろん、競うという事もあるでしょうが、それを離れて詩を作るという事はいくらでもあるというか、むしろそちらが自然なように思えます。


そのことを踏まえず、李徴は、科挙のような競争心で詩作に臨んでいた。
だから、負けることを恐れていた。そして、負けるはずがないと思っていた。
しかも、だれよりも、抜きんでていたかったというわけですね。

 李徴の目的は、確かに、優れた詩を作ろうという部分を含んでいました。
しかし、ただ優れた詩を作ろうという事よりも、他人との競争に勝ち、名声を得る点に李徴の詩作の重心があったと理解できます。


作中では、袁が

「成程なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処どこか(非常に微妙な点に於おいて)欠けるところがあるのではないか、と。」
と評していますが、おそらくこれは、李徴が競争を目的に、つまり、臆病な自尊心と尊大な羞恥心を持ちながら作ったものだからではないか・・・と、個人的には考えています。


しかし、この山月記は、非常に人間の心理を的確についているとおもいます。
まったく、こういう人間はたくさんいるし、ここまで度が過ぎていないというだけで、だれの心にもあるといって過言ではないかとすら思います・・・。

僕個人は、李徴、嫌いじゃないです笑

李徴にも、いいところはあると思うんです。


1、自負心があるところ

自分はできないとおもっているひとは、その時点でできません。
出来ると思っていることは、とても大事なことだと思います。
李徴は、現に、一流になりうる詩作をしていますので、それは、自分はできるという気持ちによるでしょう。
何もできないという風に考えて、何もしない人よりは、かなりいいんじゃないかと思います。



2、妻子のために、詩作をやめた

尤も、これは、自分の詩作に絶望を覚えたためとありますから、ちょっとネガチィブな感じはしますが
それでも、ある程度認められることでしょう。
妻子のことを慮る発言も、袁にしています。
李徴にとっては、詩作が第一義で、第二義が妻子だったという事なのでしょう。
それとも、それすら自尊心で、つまり、世間からどう思われるかきにして、結婚したんでしょうか。
そして、妻子のことを考えているふりをしていたんでしょうか・・・。
・・・自尊心という言葉から、ここまで疑って考えるのは、さすがに、李徴がかわいそうだと思いますね笑
たとえ自尊心からにせよ、妻子を思うという点は、良いと思います。




3、そうはいっても、詩作はがんばっていた

李徴を侮ってはいけないとおもいました笑。かなり優秀なのです。
若くして、科挙(しかも難しい方)に合格しているのですから、やれる男です。
官吏も、使われるのをがまんさえしていたら、かなり上の地位に付けていたのではと思います。
詩作についても、「おれは真剣にやらなかった」といっていますが、それは、李徴の「羞恥心故の自分への評価」です。
実際は、かなりやっている。
あれです、「テスト勉強全然やってない!やばい!」って言って、めちゃくちゃいい点数とる人と同じです笑ヾ(^-^;)

「曾て作るところの詩数百篇ぺん、固もとより、まだ世に行われておらぬ。」
これが本当かは、若干怪しいですが、以下に分けられます。
本当=かなり努力してる
さばを読んで100篇ほど=それでも結構書いてるんじゃない?
実は朗読した30篇のみ=数百編と比べたらちょっと少ないかもしれないけど、それでもすごい( ̄ー ̄)


確実なのは、30編は作っているという事
長短凡およそ三十篇、トラになっても暗記して朗読してますから、この暗記して朗読できるというのは、相当ですよね・・・笑



こういう風に見ると、李徴は、非常に惜しい人物というか、かなりもったいない逸材というわけですね・・・。






では、李徴はどうすればよかったのか?


ここからが(!)本題であります笑

今回は本格的笑

個人的な見解で、先ほど、動機がまずかったという事を述べました。

音楽でもよくあるんですが、コンクールとかに出るとすると、「ミスのない演奏」を求める気質があります。
コンクールは、「ミスなく」しかも、「ほかの人よりも優れている(と思われるような)演奏」が求められます。

そこで、ピアノを弾く人は、「ミスせず」「競争」しようとするわけです。

こういう時に、どういう心理が沸き起こるか。

失敗を恐れるわけですね。
そして、競争に負けることを恐れる。
そういう恐れから、演技が硬くなる。
のびのびとした表現ができない。


オリンピック選手なんかでも、よくそういう風になってると思います。
彼等は、その恐怖心をうまくコントロールしていたり、コントロールできず、自分が望む演技にならなかったり・・・・・・。練習に練習を重ねたオリンピック選手ですら、そういう心理状況になるわけです。


ピアノで言うと、演奏者は本来、美しい音色で、心に響くような演奏を求めていることが多いです。
そして、それを求めるごとに、流暢な指の動き、表現が実現されていきます。


確かに、美しい音色の連続というのは、ミスがなく、和音がきれいにそろっています。
でも、それは、「美しい演奏」を求めたからで、「ミスしたらだめだ」という気持ちから現れたものではないのです。

「ミスしたらだめだ」という気持ちから、「ミスをしない」という状況に達することは、もちろんあります。
それも、もちろんミスがないので結局、ある程度は美しいものになるのでしょうが、心に響くかどうか、は別問題になってくるのではないでしょうか。
そして、「ミスしまい」と思えば思うほど、表現が硬くなってしまうのではないでしょうか。
それが高じると、最悪、ミスが怖くて、弾けなくなるという状況までなるのでは・・・・・・。(:_;)


おそらく、李徴の詩作は、それと似たような状況になったのではないでしょうか。
あまりに羞恥心が強く、できないかもしれないということを認められなかった・・・。悲しいことです。


とはいえ、羞恥心、自尊心、それ自体は、そんなに悪いものではないと、僕は思います。
羞恥心がなければ、あまりにもあけっぴろげで、他人のことを考えない感じになるかもしれません。
自尊心がすこしもなければ、ちょっとも挑戦することができないのではないでしょうか。

そう考えた時に、では、どうすれば?という事なんですね。

最近、僕は巷で話題の、アドラー心理学を勉強していますが、アドラーは、フロイトのような原因論ではなく
目的論の立場をとります。

例えば、学校に行く前、おなかが痛くなる子供。こういう子は、登校時間がすぎ、
もう学校へ行けないというような電話をすると、ケロッと治っちゃうそうです笑

つまり、この子は、おなかがいたいから学校へ行けないのではなく
「学校へ行かないために、おなかをいたくしている」というわけなんですね。



アドラーの考えは、とてもしっくりくるものがあり、すごく賢い人だったのだなと感じています。
おすすめです!


さて、カフカの変身ってありましたよね。
芋虫に変身してしまう男の話です。

これは、どこか今回の山月記と似ていると思いませんか?

そう、変身です! へーんしん!(ノ◇≦。)

・・・すいません笑

変身しちゃってますよね、芋虫に。
この変身も、原因不明です。


ところが、アドラー流に考えると、確かに、なるほど!という事が見えます。
つまり、ザムザは、働きに行きたくなかった。
働かないですむようになるために芋虫になった。
こういうわけですね。

納得いきましたか?
個人的には、すっごく納得です笑
たしかに、ザムザはそんな感じでしたし、カフカ自身も、そんな感じだったらしいですもんね・・・。
まあ、納得いくかは個々人にもよりますけど、新しい視座を与えてくれることは確かだと思います。



さて、李徴はどうでしょうか。
先ほどの様に考えると、李徴は「詩作をすること(名声を得るための活動)から逃れるために虎になった」
という風に言えます。


本文を見てみましょう。

「己おのれの珠たまに非あらざることを惧おそれるが故ゆえに、敢あえて刻苦して磨みがこうともせず、
又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々ろくろくとして瓦かわらに伍することも出来なかった。」


李徴は、実際のところ、自分の心理に気づく0.001歩手前というところまでいっているとおもいます。
やはり、かなり賢いですね。

上の文はつまり、
「磨かれれば珠であるという事を信じておける状況を永続させるために磨かなかった」のであり、
「瓦に伍しない(平凡な人々に関わらないでいたい)ために、自分のものが珠であると信じていた」という事です。



そして、
「たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう」
というのは、
「私は虎になったので、発表しないですむ=発表しないでいれる(自分は珠だと信じていられる)ために
虎になった」という事なのでしょう。

かなりしっくりきます。



では、李徴の詩は、本当に珠ではなかったのでしょうか?

おそらく、磨けば一流のものになったのではないかと思います。
袁が認めるところでもあります。

また、
「己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、
堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。
虎と成り果てた今、己は漸ようやくそれに気が付いた。」と、李徴も言っています。

この文章は、前半はその通りでしょう。
しかし、後半の分が気になります。
「虎と成り果てた今、己は漸ようやくそれに気が付いた。」とありますが、
気づいたのは、本当に虎と成り果ててからなのでしょうか?


おそらく、賢い李徴のことだから、もう、だいぶ以前に気づいていたのではないかと思います。
でも、気づいたと認めてしまうと、それに向き合わなくてはならなくなる。
向き合うと、失敗するかもしれないという恐怖が襲う。
(この恐怖は、向き合うことを忌避するために生み出しているとまでは気づいていない)

そういう感じだと思います。


どうすれば、その恐怖を感じないようにできたか?

アドラー心理学から、考えてみたいと思います。
アドラーが、問題解決に向けて重要だと考えることは、他者への関心です。
そして、他者への認識を変えることが重要だと説きます。

具体的には、「私には、能力があると思う」ことと
「人々は、私の仲間だと思う」
という事です。


おそらく、李徴は激しい競争を経験して、「他者は敵だ」と認識していたんじゃないでしょうか。
他者への不信が根っこにあるのかもしれません。

また、「与えること自体よりも、受け取ること」を重視していたせいかもしれません。
つまり、賢い自分は、名声を手に入れるのが当り前だ、という考え方ですね。

詩で誰かを喜ばそうと思って作ったり、詩の優れた特性に関心を払って、そして、そこに重点を置いて
詩作にふけっていれば、自らを虎に変えうるまでの大きな羞恥心は生まれなかったのではないでしょうか。

もちろん、それでも、羞恥心があるという事はあるでしょう。一切なくなるというのは、難しいかもしれません。
でも、重点が代わるだけで、全然違ったアプローチができると思うんです。


つまり、「心に響く演奏」を求めて弾くのか
他人がミスを見張っているぞ!(みんなは敵だ!)と思って弾くのか。


また、他者もまた、賢くありうるし、価値のあることをしていると考えれば、
自分だけが特別優秀だと思いこむこともなかったのではと思います。

悲しい結末になってしまった山月記の李徴ですが、
その姿を心にとどめ、「どうすれば、その問題は解決されるか」を考え暮らしていきたいと思います。

あ・・・・・。



ポッケは元気!うひっ!( ̄∇ ̄*)


私はこう思う、など、コメントいただけると嬉しいです


いろいろまとめ(^O^)
音楽(ピアノ)まとめ
http://op63op29pia30845.blog.so-net.ne.jp/2015-05-16

本まとめ
http://op63op29pia30845.blog.so-net.ne.jp/2015-05-16-1

文鳥まとめ
http://op63op29pia30845.blog.so-net.ne.jp/2015-07-08-1

絵まとめ
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いつのまにか三月・・・!?

いつの間にか三月とか、きいていないんですが・・・・・・。


どういうことなんでしょう!?笑


あっちゅーますぎます。

いつの間にか、更新を忘れていました。


https://youtu.be/wN8-MkeBB0g?list=PLMuGDKCPSloxw3b94ZhOvXJum_HUo9Gr5

きょねんの今頃は、この曲を練習してました。
アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ

練習をまたしようって感じですね。

色々なことがありましたが、振り返ってばかりいてもしかたがないので、特に振り返らず、前を向いて歩いていこうと思います、いい意味で笑

ふり返らない勇気ヽ(^。^)ノ




そのうちちゃんと更新しますので、今回はこの辺で笑

あけてしまっていた!!!

あけまして、おめでとうごじゃいましゅる!

・・・・・・あけまして、おめでとうございます

いつの間にか、年が明けてしまっていたばかりか、12月、ブログの更新を忘れていました笑


みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
さて、今年の目標を立てようと、現在奮闘中です。
やりたいこと、たくさんあるんだよなー。

まず、ジョギングというか、ランニングを始めました!(^_^)
週一のペースで、歩いたり走ったりしてます。
今一か月。
マラソンを走れるようになりたいんです。体力があってタフなのっていいですよね!

なりたいなー。まあ、これはぼちぼちやっていこうという感じ。


絵も、いろいろかいてみたいなと思っています。
うん、これも適当に笑


ピアノ

これは、去年沢山の曲に挑戦したから、弾ける曲をどんどん増やしていきたいというところ。
月一曲弾けるようになっても、12曲弾けるようになるので、そういうふうにふやせたらなあ。
そして、再生リストにいい演奏を載せる、まあ無理のない範囲でという感じ笑


勉強
心理的なことや、生物についてとか、とにかく、博学になりたいなと思っています。

なんか、忘れちゃうんだよね笑
知識が、蓄積しているのか、結構謎。
知ったことは、メモしていきたいなって思ってます。
あと、読書日記!
せっかく読んだのに、読みっぱなしということが多々あるので、読書日記をつけます。
これは、無地のノートがいいかなあ。

それとも、ルーズリーフみたいにした方がいいか?ちょっと悩み中。

ポッケとはもうだいぶ仲良くなってるから、これは継続して・・・・・・



・・・・・・遊んでいただく!笑

目標は様々あり、やることもたくさんあり、スケジュールで色々決めていこうとしてます笑

やっぱ、計画たてるのって大事だね(^_^)
なかなかくせんしてて、みなさん、こういう風にしてるーっていうのがあったら、コメントで書いてくれるとすごくうれしいな♪

計画通りにいかないこともあるだろうから、
まあ、訂正しつつも、今年一年、頑張っていこうと思っています。
挑戦! 飛躍!


あ、ブログの頻度も上げたいね笑 よくばり笑


というわけで、ことしもよろしくおねがいします!^O^



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